2014年10月24日金曜日

サンルーフ異常

スライディングルーフを開いて、閉じる時に途中でストップしてまた少し開く。
安全装置が働いているようなんだけど、なにかが引っかかっているからだと思う。
インナーサンシェードの取り付けバネが摩擦するようになったのか、スライディングルーフのグリス切れなのか。
いづれ大事になりそうなので早めに対処します。
CRCは使わないほうがいいみたいです。いいグリス買わなきゃ。

2014年10月23日木曜日

12カ月点検済み

14年目の12カ月点検を終えました。
修理箇所はゼロ。
予防交換で次のことを実施したよ。
ATオイルとフィルター交換
エンジンマウント交換

エアフィルターとかエアコンフィルターはオイル交換の時に交換済み。以後2年間は無交換の予定っす。

右側リアドアハンドルにガタが出てるけど、高額部品なので様子見。欠損部を再生できるとは思えないしな。

クランクシャフトシールからのオイル漏れが指摘されたけどスルーします。滲み程度だし、工賃20万円だって言うから…。

心配していたバッテリーは前後ともOK。

Cのパークトロニックどうするか思案中。

基本料金 25920
ATフィルター交換50000
エンジンマウント交換78000
ETCセットアップ2700

参考までに
右側リアドアハンドルパーツ40000
赤外線センサー受光部30000

2014年10月6日月曜日

オイル交換の惨劇

1年点検を目前に控えて、簡単な部分をやっつけています。

エアコン外気導入のフィルター交換。
ついでに奥の方も洗ってみた

交換の写真はないけど、エンジンのエアクリーナーも交換しました☆

次はオイル交換
ここでトラブル発生
オイルフィルターハウジングが劣化で割れてオイルダダ漏れ。
もちろん自走不能状態
家から離れた場所で作業してるのでヤバイ

万策尽きて…

JAF搬送。
自宅まで

翌日、パーツをゲットしました☆
Oリングの付け方が悪かったのかなー。

とりあえず復旧

量もOK

吹け上がり軽くなったよ。
やっぱりオイル交換は半年ごとだな

2014年9月14日日曜日

右ドアミラー鏡面の交換

ミラーがおかしくなっていたのを治しました
新品では7万円…。ヤフオクで中古のドアミラーAssyを落札してそれを移植します。
ミラーバラしました
ミラー部分拡大
これはケース側のLEDウインカー
新旧
ミラーはこの針金で止まっているだけです。
一応、ここも掃除します

2014年8月25日月曜日

その2

ヤナセ埼玉のサービスフロント受付嬢はともかく、念のためAのカタログを営業から受け取って姉に渡していたのだが翌日連絡があって、案の定、買う気になったらしい…

さて土曜は家の掃除をセッセとやってから関内に行き崔さんたちと合流しました。

翌日のエンゼルなんですがなんと6Iが折れました。
ダフったわけではなくて金属疲労でしょうか。普段の練習は6Iだけですから相当参っていたに違いありません。
あと、靴の中敷を変更したのですがまだあっていなくて左足はマメだらけです。奮発してビリケンストックを買ったんだけどな、慣れるまで時間かかりそう。
馬車道に泊まって翌日午後に広島に戻ってきましたがまだ雨降っていました。

冬になる前にまた行きます。

2014年8月23日土曜日

夏休み第二弾 その1

夏休みの第二弾で東京に戻って来ました
とはいえ、なにを勘違いしたか、へんな時間での移動で往復ともに半日が潰れるという体たらく…。
芝浦に寄ったついでに元上司とコーヒーしてしばし歓談。いろいろ大変そうだ。
かたやワタクシのほうはバタバタしているとはいえ、畳み掛けてくるような要求もないし、内紛も下克上もない環境に移ってしあわせだなーと感じました。
湘南会で藤沢に行き、終電で六辻までいったのですが武蔵野線の武蔵浦和まで行かずに南浦和で下車して歩いてみたら…。
ガッツリ遭難しました☆
子供の頃から南浦和には不案内で、ちょっと嫌な予感はしたのですがやっぱりダメでした。昼間、車なら大丈夫なんですけどね。
ヴィータのワイパーアームが左右ともに付け根が腐食してもげかかっていましたのでヤナセに行って部品注文。サービスの受付嬢が目を見張るような美女でびっくり!
こんなサービスフロントならいつも故障しててもOKっす(笑)

2014年8月13日水曜日

九州に行ったよ

20年以上ご無沙汰していた福岡、長崎に行ってみた。

福岡は山奥だったのだけど開発が進んで驚くほど啓けていたのでビックリ。
しかしそんな中でも父の生家は住む人なく荒れ果てていた。
辛うじて叔父が時折手入れをしてくれているようだが、近隣の新興住宅地とは裏腹に人気のない部落になっていた。
父は山が好きだったのだが、その原風景をこの目で確認しようと思っていたがそこにあったのは荒れ果てた山林と苔生した小径、そして変わらず流れる水源からの流れだけだった。
雲仙に行く途中、唯一連絡を保っている叔父に挨拶がてら訪ねたので、なにを見に行くという目的はなかったのだけど、ワタクシの記憶にあった父の生家はまるでニューギニアのジャングルの中のような場所で朽ちていくんだなと妙に納得した。
父の墓はここにはない。埼玉のどこかにあるらしいが私は行ったことはない。
いつか父の墓に行くことがあるとしたら自分の人生が終焉を迎える時だと思っている。なぜなら私の中では父はまだ死んでいない、今日もどこかでよろしくやっているに違いないのだ。

翌朝、長崎に行ったのだが春尾の家が見当たらない。一面の空き地…。
こちらは母の生家でもないのであまり気にはならないのだが、管理していた従兄弟が売却してしまったらしい。探すのにかかった時間を返せ。
せっかくなので墓参りはしたが、こちらは墓守さんが手入れをしてくれているようです。
相変わらず派手なピカピカのタイル張り、タクシーの運転手に墓地の場所を訊いたとたん「春尾さんの墓のところですね」と言われた。すみません、うちの墓は目印ですか…。

長崎は想像よりすさんでいました。産業がないようですがこの先も大変でしょうね。観光だけの街になってしまっています。