20年以上ご無沙汰していた福岡、長崎に行ってみた。
福岡は山奥だったのだけど開発が進んで驚くほど啓けていたのでビックリ。
しかしそんな中でも父の生家は住む人なく荒れ果てていた。
辛うじて叔父が時折手入れをしてくれているようだが、近隣の新興住宅地とは裏腹に人気のない部落になっていた。
父は山が好きだったのだが、その原風景をこの目で確認しようと思っていたがそこにあったのは荒れ果てた山林と苔生した小径、そして変わらず流れる水源からの流れだけだった。
雲仙に行く途中、唯一連絡を保っている叔父に挨拶がてら訪ねたので、なにを見に行くという目的はなかったのだけど、ワタクシの記憶にあった父の生家はまるでニューギニアのジャングルの中のような場所で朽ちていくんだなと妙に納得した。
父の墓はここにはない。埼玉のどこかにあるらしいが私は行ったことはない。
いつか父の墓に行くことがあるとしたら自分の人生が終焉を迎える時だと思っている。なぜなら私の中では父はまだ死んでいない、今日もどこかでよろしくやっているに違いないのだ。
翌朝、長崎に行ったのだが春尾の家が見当たらない。一面の空き地…。
こちらは母の生家でもないのであまり気にはならないのだが、管理していた従兄弟が売却してしまったらしい。探すのにかかった時間を返せ。
せっかくなので墓参りはしたが、こちらは墓守さんが手入れをしてくれているようです。
相変わらず派手なピカピカのタイル張り、タクシーの運転手に墓地の場所を訊いたとたん「春尾さんの墓のところですね」と言われた。すみません、うちの墓は目印ですか…。
長崎は想像よりすさんでいました。産業がないようですがこの先も大変でしょうね。観光だけの街になってしまっています。