2018年8月21日火曜日

リンゴの木

宗教家ルターの名言に​
Even if I knew that tomorrow the world would go to pieces, I would still plant my apple tree.
(明日世界が滅びるとしても、今日私はリンゴの木を植える)

というのがあります。
他の宗教家がこれにつながるような格言を残しているのをみつけました。​

O God, give us serenity to accept what cannot be changed, courage to change what should be changed, and wisdom to distinguish the one from the other.
(神よ、変えることの出来ない事柄については、それをそのまま受け入れる平静さを、変えることの出来る事柄については、それを変える勇気を、そして、この二つの違いを見定める叡智を、私にお与えください)

ルターはこの変えることのできない運命をあたかも今日の延長として自然に受け入れようという姿勢を示しています。
ただ、彼が見誤ったのはリンゴに象徴される宗教論争の行方だったのだと思います。
そこは変える勇気を持って臨むところだったのではないかと思うわけです。

人生は思い通りになんかいかない。
ただ、受けとめかたひとつでどうにでもなる。

そのためにはやはりリンゴの木を植え続けなければならないのだろう。

始末をつける。 という言葉あります。
たとえば何かの終焉を迎えるときにあたかもそこに何事もなかったかのようにきれいさっぱり痕跡を拭き取ってしまうような解釈をされることがあります。
現代でしたら倒産、ちょっと前でしたら敗戦、戦国時代ですとお城明渡みたいなものでしょうか。
いずれもひとつの時代がドラスティックに終わっていくわけですが、片付け方にもいろいろあると思うのです。
いかに混乱を引き起こさずに始末をつけるのか。これが指導者の統率力の本質ではないかと考えています。
モチベーションのある場面では統率力よりも組織力や個人の能力も影響しますが、始末をつける場面においてはなにしろ組織全体が虚脱感に覆われている状態ですから統率力が全てとなると思うわけです。
リンゴの木を植えるように思わせるのか、否か、それもまた教育なんだなと考えたりするわけです。


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