ありとあらゆる戦記小説を読みました。中には作者の武勲ばかり書き並べて、お世辞にも記録小説とは言い難いものもありましたが。。。
インパールやガダルカナルなど、大きな作戦が題材になっていると、複数の執筆者から出版されていて、検証も出来たりします。
まぁ、これ等はいずれも失敗の研究になりますが、戦後の平和ボケで中途半端にされている敗戦の研究は今こそ論議を尽くさなければならないと考えています。
強いては国民性の議論になってしまうでしょうが、我々は自分たちの欠点と真面目に向き合ってみるべきです。
平和憲法を云々するまえに、そもそも平和とはなにかを考える必要があると思います。
作戦の研究、その背景にある国民性や経済。そういうものをきちんと議論できる社会になって欲しいもんです。
偶然の成功ストーリーではなく、複合原因による失敗の研究が急務です。
これは昨今の民主党による政策の棚卸にも言えることですが、なぜ、その政策が必要だったのか、その時点に立ち戻って考えてみるべきでしょう。
マスコミが煽って政策を立案させてしまったものもそう少なくはない思います。
マスコミ嫌いについてですが、彼らがそれぞれの主張を持っているのでしたら良しとします。ポリシーがなさ過ぎるから気に入らないのです。
右なのか、左なのか、そこをとことんはっきりしてほしいもんですね。
たとえば、創価学会チャンネルとか、浄土真宗新聞とか、有ってもいいんじゃないですか?
2009年11月5日木曜日
ワタクシは「エコ」を信用しない
報道より引用>>
峰崎直樹財務副大臣、自動車関連の税制について「環境に対して悪い数値のものは、むしろ少し税を重くするのが基本的な考え方だ」と述べ、燃費が悪い車などを対象とした増税を検討することを明らかにした。(引用終わり)
。。。あほか。
環境に対して悪いのであれば、電化製品にも、隅田川の花火にも、野球のナイターにも税金かけろや、ボケ。
特に燃費の悪い車などと云えば、船と戦車だな。
他にも増税した方がいいものといえば。。。
1.デブ。特に2型糖尿病患者。
2.国会議員の所得税。
3.オートバイの税金。
復活した方がいい税金といえば。。。
1.料飲税
あ、他にはないな。。
まぁ、どうでもいいことなんですけど。どうせ些細な額ですから。
制度を変えると云うことは、過去の制度の上に成り立っている経済構造を覆すと云うことにも直結しますから、思いつきのようなことを軽々しく口にしないほうがよろしいかと思う。ただそれだけ。
そういえば、最近「マイ箸」というものを持ち歩いている人が多いようですが、あれ、どうなんですか?
何処で洗って居るんですか?
たとえば吉兆とか、結婚式の披露宴(和食は少数派ですけど)でも使うんですか?
あれ?ああいうところって、箸はどうでしたっけ?
割り箸?まさかねぇ。
割り箸の何処がいけないって云うんでしょうか?
木材がもったいない? いいじゃん、利用して居るんだから。
ああいうのは、エコで金稼ぎしているだけですから。
いやぁ、考えてみればエコって金のなる木のようなモノです。
エコだから電化製品を買い換える、いや、まだ壊れていないでしょ。壊れるまでの想定年数に必要な経費と、買い換えの経費を比較してどうなんですか?
これ、プリウスを自家用車にする家庭で現実に起きています。
たとえば、価値ゼロの15年物のコロナからの代替の場合。。。
(1)ほとんど車に乗らないのにエコカーに買い換えた。
(2)面白がってあちこちに遠出をするようになってしまった。また、車両保険は値上がりしてしまった。
(3)出かけると余計な買い物をするようになった。自身が渋滞の参加者となってしまった。
(4)結果、家計には悪影響しかなかった。
何処がエコなんですか?
まぁ、エコナも無くなったことだし。。。ねぇ。
峰崎直樹財務副大臣、自動車関連の税制について「環境に対して悪い数値のものは、むしろ少し税を重くするのが基本的な考え方だ」と述べ、燃費が悪い車などを対象とした増税を検討することを明らかにした。(引用終わり)
。。。あほか。
環境に対して悪いのであれば、電化製品にも、隅田川の花火にも、野球のナイターにも税金かけろや、ボケ。
特に燃費の悪い車などと云えば、船と戦車だな。
他にも増税した方がいいものといえば。。。
1.デブ。特に2型糖尿病患者。
2.国会議員の所得税。
3.オートバイの税金。
復活した方がいい税金といえば。。。
1.料飲税
あ、他にはないな。。
まぁ、どうでもいいことなんですけど。どうせ些細な額ですから。
制度を変えると云うことは、過去の制度の上に成り立っている経済構造を覆すと云うことにも直結しますから、思いつきのようなことを軽々しく口にしないほうがよろしいかと思う。ただそれだけ。
そういえば、最近「マイ箸」というものを持ち歩いている人が多いようですが、あれ、どうなんですか?
何処で洗って居るんですか?
たとえば吉兆とか、結婚式の披露宴(和食は少数派ですけど)でも使うんですか?
あれ?ああいうところって、箸はどうでしたっけ?
割り箸?まさかねぇ。
割り箸の何処がいけないって云うんでしょうか?
木材がもったいない? いいじゃん、利用して居るんだから。
ああいうのは、エコで金稼ぎしているだけですから。
いやぁ、考えてみればエコって金のなる木のようなモノです。
エコだから電化製品を買い換える、いや、まだ壊れていないでしょ。壊れるまでの想定年数に必要な経費と、買い換えの経費を比較してどうなんですか?
これ、プリウスを自家用車にする家庭で現実に起きています。
たとえば、価値ゼロの15年物のコロナからの代替の場合。。。
(1)ほとんど車に乗らないのにエコカーに買い換えた。
(2)面白がってあちこちに遠出をするようになってしまった。また、車両保険は値上がりしてしまった。
(3)出かけると余計な買い物をするようになった。自身が渋滞の参加者となってしまった。
(4)結果、家計には悪影響しかなかった。
何処がエコなんですか?
まぁ、エコナも無くなったことだし。。。ねぇ。
2009年2月15日日曜日
諦める人たち、諦めない人たち
今週はおとなしくしています。
そういうことですからもちろん朝練はちゃんと二日間こなしました。
ドライバーの鉛を少し減らしてみたのですが、どうでしょうかね。22日はどうなることやら。
さて、久しぶりに世の中のことでも考えましょうか。
景気云々とか言うのは完全無視。景気が良かろうと悪かろうと、地球は回る。
不景気という人たちは景気に左右される「ギャンブル的な」職業を生業としているから。それにつきる。
地に足が付いていないというか、そういうこと。
企業の業績にしてもそう。右肩上がりのプランだけ表に出してくるから悪く見える。実際には収益減少のプランも立てているはずなので、そのプランにも切り替えられるようフレキシブルな運営をすればいいだけのこと。
実際にはそのバッファーとして派遣という便利な制度を用いているのだろう。
派遣切り云々で攻撃される会社には慰めの言葉しか浮かばない。
もちろん報道は一般事務職の派遣切りについては報道しない。自分たちもやっているから。
製造業の派遣だけあげつらって攻撃して、また発行部数を伸ばそうとしたり、視聴率を上げて広告収入を増やそうとする。相変わらず汚い
コンシューマ関連以外の製造業に関する派遣切りのことは報道しない。目立たないから。
「明日は今日よりも確実に良くなる」そういう期待をもって庶民が暮らすのは幸せなことだけれど、それに警鐘を鳴らす人の声を無視している公共放送ってなんなんですかね。
「明日は今日よりも確実に良くなる」そんなわけない。
「明日は何が起こるかわからない」そういう不確実性の時代であることはもう皆さんよくご存じのはず。
まぁ、そんなことはさておき、派遣の問題。
おかしいだろ、最近の派遣の救済。
仕事ないんなら選ぶなよ。若けりゃ自衛隊だってあるだろ。林業だってあるだろう。
あれも大事、これも大事、そんなことでは無職という生活上の緊急事態を乗り切れるわけがない。
もちろん、次回、派遣ではなくて正社員があぶれたときにも各自治体には同じ対応をしてもらうからな。
なんのために自治体の経費を削ってもらうために節約してくれそうな議員を選ぶ選挙しているのかわからねえじゃないか。所詮、人気取りかよ。やっぱ国政もカスなら地方もカスだな。
まぁ、それに甘えようとする連中は乞食だけど。
って言ってしまうとなんだか弱者攻撃になってしまうので良くないですね。
弱者ってなんでしょう?
今の世の中で云えば「きちんと主張したりできない」人たちのことですね。
自分の意見や考えを実行に移すことができないとも考えられます。
もっと端的に言えば「諦めるか、諦めないか」その違いでしょう。
なぜ諦めてしまうのか?
そこんとこに今、社会が抱えている問題の原因があると思っています。
諦めなければ長期にわたる派遣生活になることもなかったでしょうし、次善の策というものを常に備えていたことでしょう。
では「諦めない」とはどういうことでしょう?
もちろん相手はヒトになります。粘る、交渉する、毅然とした態度を持つ、そして戦う。
それができない人たちが実は我が国にはたくさんいます。それは我が国の歴史上の問題でもあります。
そう、それは農民。
士農工商という制度の中で意志を明らかにすることを禁じられて(もしくは制限されて)いたという土壌が現代でも引き継がれているのではないかと考えています。それを「伝統」とか「慣習」とか云います。
あれはあれ、これはこれ。そういうことはできないものなのです。
争いを避ける教育制度にももちろん問題はあります(むしろこちらが主要因か)。
世の中、弱肉強食であることは、有史以来一貫した事実です。
強いものが残り、弱いものが消える。そういう世の中のはずです。そして強いものが弱いものをちょっと救う。そんなものでしょ。
皆で横並びに強くなれるわけがないし、そもそもそういう社会構造にはなっていません。
いま、どん底の人、自分の力で乗り越えてください。何が重要で、何が不要なのかよく考えてください。
どこまで受容できるのか、よく考えてみるべきです。
諦める、これが絶対に避けなければならないことです。
「撤退」ではなく「転進」すればよいのです。
そういうことですからもちろん朝練はちゃんと二日間こなしました。
ドライバーの鉛を少し減らしてみたのですが、どうでしょうかね。22日はどうなることやら。
さて、久しぶりに世の中のことでも考えましょうか。
景気云々とか言うのは完全無視。景気が良かろうと悪かろうと、地球は回る。
不景気という人たちは景気に左右される「ギャンブル的な」職業を生業としているから。それにつきる。
地に足が付いていないというか、そういうこと。
企業の業績にしてもそう。右肩上がりのプランだけ表に出してくるから悪く見える。実際には収益減少のプランも立てているはずなので、そのプランにも切り替えられるようフレキシブルな運営をすればいいだけのこと。
実際にはそのバッファーとして派遣という便利な制度を用いているのだろう。
派遣切り云々で攻撃される会社には慰めの言葉しか浮かばない。
もちろん報道は一般事務職の派遣切りについては報道しない。自分たちもやっているから。
製造業の派遣だけあげつらって攻撃して、また発行部数を伸ばそうとしたり、視聴率を上げて広告収入を増やそうとする。相変わらず汚い
コンシューマ関連以外の製造業に関する派遣切りのことは報道しない。目立たないから。
「明日は今日よりも確実に良くなる」そういう期待をもって庶民が暮らすのは幸せなことだけれど、それに警鐘を鳴らす人の声を無視している公共放送ってなんなんですかね。
「明日は今日よりも確実に良くなる」そんなわけない。
「明日は何が起こるかわからない」そういう不確実性の時代であることはもう皆さんよくご存じのはず。
まぁ、そんなことはさておき、派遣の問題。
おかしいだろ、最近の派遣の救済。
仕事ないんなら選ぶなよ。若けりゃ自衛隊だってあるだろ。林業だってあるだろう。
あれも大事、これも大事、そんなことでは無職という生活上の緊急事態を乗り切れるわけがない。
もちろん、次回、派遣ではなくて正社員があぶれたときにも各自治体には同じ対応をしてもらうからな。
なんのために自治体の経費を削ってもらうために節約してくれそうな議員を選ぶ選挙しているのかわからねえじゃないか。所詮、人気取りかよ。やっぱ国政もカスなら地方もカスだな。
まぁ、それに甘えようとする連中は乞食だけど。
って言ってしまうとなんだか弱者攻撃になってしまうので良くないですね。
弱者ってなんでしょう?
今の世の中で云えば「きちんと主張したりできない」人たちのことですね。
自分の意見や考えを実行に移すことができないとも考えられます。
もっと端的に言えば「諦めるか、諦めないか」その違いでしょう。
なぜ諦めてしまうのか?
そこんとこに今、社会が抱えている問題の原因があると思っています。
諦めなければ長期にわたる派遣生活になることもなかったでしょうし、次善の策というものを常に備えていたことでしょう。
では「諦めない」とはどういうことでしょう?
もちろん相手はヒトになります。粘る、交渉する、毅然とした態度を持つ、そして戦う。
それができない人たちが実は我が国にはたくさんいます。それは我が国の歴史上の問題でもあります。
そう、それは農民。
士農工商という制度の中で意志を明らかにすることを禁じられて(もしくは制限されて)いたという土壌が現代でも引き継がれているのではないかと考えています。それを「伝統」とか「慣習」とか云います。
あれはあれ、これはこれ。そういうことはできないものなのです。
争いを避ける教育制度にももちろん問題はあります(むしろこちらが主要因か)。
世の中、弱肉強食であることは、有史以来一貫した事実です。
強いものが残り、弱いものが消える。そういう世の中のはずです。そして強いものが弱いものをちょっと救う。そんなものでしょ。
皆で横並びに強くなれるわけがないし、そもそもそういう社会構造にはなっていません。
いま、どん底の人、自分の力で乗り越えてください。何が重要で、何が不要なのかよく考えてください。
どこまで受容できるのか、よく考えてみるべきです。
諦める、これが絶対に避けなければならないことです。
「撤退」ではなく「転進」すればよいのです。
2008年6月24日火曜日
読めない!
KYという言葉ももう古い部類に入ってしまったが、小生には関係ない。
最初は「?」と思っていたのだが、どうやら「空気が読めない」という意味だそうな。
驚いたのはそれをKYと略したからではなく、「空気を読む」という感覚が今の日本人にあることに驚いた。
詳しくは山本七平氏の著書に述べられているが、日本文化の悪いところは「その場の空気」というものだとワタクシも思う。
「そういうことを言える空気ではなかった」という言い訳がまかり通る社会とは、数十年前に「バスに乗り遅れるな」という新聞社の煽りに乗って我が国を日華事変、ひいては大東亜戦争へと追い詰めていったことは紛れもない事実だと思っている。
もちろん、ワタクシは非戦論者ではない。戦争は国策として、または外交上の最終手段として用いることのできる権利であり、選択肢だと思う。しかし、そういう空気になったと国民が感じていたのはなぜか?
ワタクシはそちらのほうが気になって仕方がない。
今と全く異なる情報の伝達速度と深度であったにもかかわらず、その空気がなぜ伝染したのか?それは唯一の媒体であった新聞のなせる技であったと思う。
もちろん、今でもそれら新聞社は相も変わらず反社会的は文章をさもインテリな振りをして放っているが、私が思うに、もう手の施しようのないところにいるのではないかと思う。
もちろん、テレビなどはなおのこと反社会的とも言える。
それでいてそれらの職業に就いている者たちは自分たちこそが真実であり、事実であると信じているところが妙に悲しい。
こういうことは別に先の戦争を例に挙げなくても他に枚挙をいとわない。事業が悪化してゆくのもほとんどの場合、空気が原因である。
空気など読む必要はない。思ったことはきちんと述べ、良くも悪くも意思の疎通を図ることこそ重要である。
ところで、AYという言葉を使った人がいた。「敢えて読まない」だそうだ。ある意味感服した。
先日、報道機関を叩くのはなぜですか?という質問を受けました。
ラジヲは叩いたことはありません。
もっとも、テレビや新聞社を「叩いている」わけではありません。忌み嫌っているだけです。
一部の出版社も含まれます。
数年前ですが、ワタクシのところに新聞の勧誘が来ました。戦争が好きだった新聞です。
「広告がないのなら購読してもよろしい」と答えたのだが、折り込み広告のことだと思ったらしい。
実は雑誌でもそうなのだが、広告が嫌いだ。消費財の事業に携わっていた人間とは思えない発言だが、ワタクシとしては消費者というものは流行などよりも製品の知識を広めるべきであると考えているのだから仕方ない。
品質の優れた製品を多少値が張ってでも購入し、長く使う。または信頼できる食品を選択する。
良くある例では、スーパーマーケットで品定めをするとき(特に生鮮品以外など)に、読みにくく書いてある成分表示を裏返して確認するのがときおり面倒にさえ感じられる。
まぁ、毒が入っているわけではない。偽物が含まれているだけだから。
しっかし、食品の表示、ものすごく読みにくい。空気ではなく、こちらは是非読みやすくして欲しいものだ。
最初は「?」と思っていたのだが、どうやら「空気が読めない」という意味だそうな。
驚いたのはそれをKYと略したからではなく、「空気を読む」という感覚が今の日本人にあることに驚いた。
詳しくは山本七平氏の著書に述べられているが、日本文化の悪いところは「その場の空気」というものだとワタクシも思う。
「そういうことを言える空気ではなかった」という言い訳がまかり通る社会とは、数十年前に「バスに乗り遅れるな」という新聞社の煽りに乗って我が国を日華事変、ひいては大東亜戦争へと追い詰めていったことは紛れもない事実だと思っている。
もちろん、ワタクシは非戦論者ではない。戦争は国策として、または外交上の最終手段として用いることのできる権利であり、選択肢だと思う。しかし、そういう空気になったと国民が感じていたのはなぜか?
ワタクシはそちらのほうが気になって仕方がない。
今と全く異なる情報の伝達速度と深度であったにもかかわらず、その空気がなぜ伝染したのか?それは唯一の媒体であった新聞のなせる技であったと思う。
もちろん、今でもそれら新聞社は相も変わらず反社会的は文章をさもインテリな振りをして放っているが、私が思うに、もう手の施しようのないところにいるのではないかと思う。
もちろん、テレビなどはなおのこと反社会的とも言える。
それでいてそれらの職業に就いている者たちは自分たちこそが真実であり、事実であると信じているところが妙に悲しい。
こういうことは別に先の戦争を例に挙げなくても他に枚挙をいとわない。事業が悪化してゆくのもほとんどの場合、空気が原因である。
空気など読む必要はない。思ったことはきちんと述べ、良くも悪くも意思の疎通を図ることこそ重要である。
ところで、AYという言葉を使った人がいた。「敢えて読まない」だそうだ。ある意味感服した。
先日、報道機関を叩くのはなぜですか?という質問を受けました。
ラジヲは叩いたことはありません。
もっとも、テレビや新聞社を「叩いている」わけではありません。忌み嫌っているだけです。
一部の出版社も含まれます。
数年前ですが、ワタクシのところに新聞の勧誘が来ました。戦争が好きだった新聞です。
「広告がないのなら購読してもよろしい」と答えたのだが、折り込み広告のことだと思ったらしい。
実は雑誌でもそうなのだが、広告が嫌いだ。消費財の事業に携わっていた人間とは思えない発言だが、ワタクシとしては消費者というものは流行などよりも製品の知識を広めるべきであると考えているのだから仕方ない。
品質の優れた製品を多少値が張ってでも購入し、長く使う。または信頼できる食品を選択する。
良くある例では、スーパーマーケットで品定めをするとき(特に生鮮品以外など)に、読みにくく書いてある成分表示を裏返して確認するのがときおり面倒にさえ感じられる。
まぁ、毒が入っているわけではない。偽物が含まれているだけだから。
しっかし、食品の表示、ものすごく読みにくい。空気ではなく、こちらは是非読みやすくして欲しいものだ。
2008年6月12日木曜日
派遣という不安定な就業形態について
秋葉原の事件について思う。
派遣という形態で就業するということは、いわば季節労働者と同じ。会社の都合如何でフレキシブルに対応できるという利点があるが、これはあくまでも使用者側の都合。
もちろん、正規の雇用では入社できないような会社にも派遣という形態であれば勤務することもできる。でも、それは表面上だけのことだ。
その会社の人事制度(人材育成)も派遣社員については対象にはしていないところがほとんどである。
今では管理職の派遣ということも日常的に行われている。
小生が正直に思うに、派遣という形態での就業には未来はない。百害あって一利なしと考えている。
雇用が便利だから、というのは使用者側の都合であって、社会的にも、雇用安定性においても派遣の増加は社会にとってデメリット以外の何者でもない。
派遣という形態で就業するということは、いわば季節労働者と同じ。会社の都合如何でフレキシブルに対応できるという利点があるが、これはあくまでも使用者側の都合。
もちろん、正規の雇用では入社できないような会社にも派遣という形態であれば勤務することもできる。でも、それは表面上だけのことだ。
その会社の人事制度(人材育成)も派遣社員については対象にはしていないところがほとんどである。
今では管理職の派遣ということも日常的に行われている。
小生が正直に思うに、派遣という形態での就業には未来はない。百害あって一利なしと考えている。
雇用が便利だから、というのは使用者側の都合であって、社会的にも、雇用安定性においても派遣の増加は社会にとってデメリット以外の何者でもない。
派遣という選択肢があるのは集合の機会を増やすことにはなるが、それに依存してしまうことは極めて危険だ。フリーターも同様だと思う。
精神的に不安定になって当たり前だ。そうならないほうがどうかしている。今回の事件は起こるべくして起きたと言っても過言ではないように感じる。
安易に雇用する、安易に就職する。あくまでも一時的なものなのに、継続してしまうのがいただけないように思う。いっそのこと、臨時雇用は3ヶ月まで。という規制でもしたらいかがだろうか?
派遣を減らすにはどうしたらよいのか?もちろん、正規雇用を増やすしかない。しかし、正規雇用を増やせば使用者側は多大なコストがかかると考えている。そもそも、それがおかしい。
企業たるもの、株主の方ばかり向いていてはならない。
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