10年ほど前のことになるのだけれど、まだBMSにいたときのこと。
法務部にM武という女史がいまして、私は職務上法務部と密接に関連していました。
ある日、他のスタッフを交えて歓談中、出身地の話になったときのことです。
ワタクシ: M武さんはどこなの?
M武: 長崎なんですよ。
ワタクシ: ふぅん。長崎のどこ?市内?(実はワタクシも長崎出身、まだ云っていないけど)
M武: 読めるかなー「滑る、に、石」って書くんですけど。
ワタクシ: あぁ、滑石(なめし)ね。
スタッフ: みなみさん詳しいですねー。
M武: 読める人初めてだわ。
ワタクシ: だって長崎だもん、ちなみに滑石団地だし。
M武: えーーーっ!いつ頃のこと?
ワタクシ: 3-4歳までかな。
M武: みなみさんいくつだっけ?
ワタクシ: 34だけど。
M武: 私、滑石団地だった。
ワタクシ: えーーっ!
しかし、そんな昔の記憶は曖昧で、気になって実家に立ち寄り、古い写真を見てみると。。。いた。砂場で仲良く遊んでいるワタクシとM嬢。オカンに話を聞いてみると、間違いはない様子。
明くる日、M嬢が件の写真(ワタクシが持っている写真と同じ)を会社に持ってきた。
私も持ってきたので同じ写真が2枚、テーブルの上に並んでいる。
スタッフが席を離れたときにワタクシとM嬢、お互い「あのことは内緒にしてよね」と言い合う。M嬢が秘密にして欲しいことがなんのことかはそもそも覚えていないけど、M嬢に内緒にして欲しいことだけは覚えている。
彼女がBMSを退職してからも交友は続いていたが、ここ3年ほど顔を見ていないけど、元気でやっている様子でちょっと安堵。
でも、なんとなく思うのは、もう会うことはないだろうということ。
誰に対してでもそうなんだけど、この先、再び会うだろうという人が極端に少なくなってきているのは紛れもない事実。既に鬼籍に入った人もあり、皆は記憶の中だけでいつも保たれてる。
時折、いろいろな人のことを思い返すとなかなか楽しい、しかし、それはとても虚しい。
記憶の引き出しを開けて、中をちょっと覗いてまた閉める。ものすごくたくさんの引き出しを持っている。整理したほうが良いのか、そのままにしたほうが良いのか、それさえも解らない。
それにつけても、遭わないほうが良かった。というひとが居ないのだけが救い。
自分勝手ですが。
2 件のコメント:
お互い進歩の無いゴルフですね。
これは、一生変わらないでしょうね。
それは多分、性質・性格とかの精神的なもんだと思います。スコアでなくほかの為のゴルフでいいでしょう。
思い出の人達ですか?
朝早く目が覚めて、懐かしい人達が思い出され、
寝れなくなる時があります。
こんな私でも、紅顔の美少年の頃があり、
思い出すのは付き合った彼女たちのことです。
高校の通勤バスで知り合った麗子さん、五反田のビクトリア(ケーキ屋)の春実さん、
その他少しの彼女達、ちょっと胸がキュントなったりします。
彼女達も同じようにたまには、私のことを思い出してくれてるんでしょうかね?
会長、懐かしいことに思いが行くのは、もう晩年・・・。
シンソンさん、名前出しちゃっていいんですか??
まだ、晩年じゃありませんから!
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