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2008年2月26日火曜日

餃子、だれのせい?

餃子の件はまだまだ波紋を広げてるが、核心の部分について誰も指摘していないことが少し気にかかる。
輸入元(発注者)の責任の所在だ。
製造先は確かに中国の会社であるけれど、ブランドを用いたのは発注した会社(日本の)であるのだから、ブランド管理としては製品にそれなりの注意を払う必要があるはずである。
今回は中国での出来事だったのでマスコミも面白がって叩いているが、肝心の生協やらJTやらの社長の責任はどう報道しているのだろうか?
まぁ、マスコミは権威のある側にしか付かないという典型的な例をみることができる。
中国の犯人もだめだが、それを丸投げして利益をむさぼっている日本の会社も駄目だし、そういうことに無頓着な日本の消費者も駄目だし、わかっていながらそれを指摘しないマスコミも駄目だ。
だめだめの構造なんだな。

2008年2月15日金曜日

価値観

戦時標語に「贅沢は敵だ」というものがあった。

陰では「贅沢は素敵だ」とも言われていたらしい。

もちろん、素敵だと思う。

さて、今の日本に「贅沢は素敵だ」以前に「贅沢」の定義がはっきりと区別できる人はどのくらいいるのだろうか?特に都市部ではほとんどわからないのでないだろうか?

戦後の日本にやってきた欧米化はマスコミを通してのものが多く、特に米国での最先端の流行を日本も追いつき、追い越そうとしているように見受けられる。

実はとうの昔に、否、戦前の時点で実は日本は米国よりも進んでいたことを敗戦のショックで我々日本人が忘れてしまったことに他ならない。

もちろん、忘れたおかげで敗戦後の復興ができたのだが、そろそろ思い出してもよろしいのではないかと思う。

ワタクシが思うのは価値観を見直してほしいということ。ただそれにつきる。


ところで、つい先ほどのニュースから。
例の毒餃子事件について、天洋食品の工場長が「我々が最大の被害者だ」とのたまった。
最大の被害者は毒餃子を食べた消費者だ。
製造者としてあるまじき認識、恐ろしい。
もし、日本人が「普通の」倫理観を持っているのならこの一言が原因で中国製品の不買運動を起こしてもおかしくはない。
まずはこの工場長の発言が訂正されなければ天洋食品製造の製品を販売している日本の会社もこの工場長の認識と同じと考えて、該当する販売会社の製品すべてを不買運動の対象にするべきではないだろうか?
JTあたりがいくら品質管理をしたとしても、製造者の認識がこんなお粗末なのではとてもじゃないけれど今後買うわけにはいかない。
まぁ、ワタクシは買っていないけれど、周囲にこういう製品を購入する人がいたら糾弾しちゃうだろう。
やっぱJTってたばこの会社だから体に悪いもの専門なんだよねー。とか。

裏を読もう

食の安全について書こうと思いましたが。ちょっと脱線した話をします。

現代日本の消費者ってものすごく贅沢だと思います。これは食品に限ったことではありません。
流行の最先端の舶来品を身につけ、常に新しい味覚を追求し(これも舶来品が中心)、最先端の電化製品を所有する。ところが口ではエコロジーだとか地球温暖化だと抜かす。おかしな話だ。
輸入に関しての燃料による温暖化の影響はどうなのだろうか?
調理するために用いられる季節外れの材料に関するハウス栽培の燃料は?
はたまた、ついこの間買ったばかりの電化製品を最新のモノにいとも簡単に変えてしまうことによる製造時のエネルギーや梱包材などの廃棄物のことは考えているのだろうか?
そして、海外の安い労働力で生産されたモノを輸入して、罪悪感はないのだろうか?
それが経済だというのならばすべてを受け入れればいいだけで、後はどうなっても知りませんよと開き直るべきだ。国を挙げてエコロジーとか南北問題とかに取り組むというのであれば徹底した質素倹約を国是とすべきなのではないかと思う。
たとえば、飲料についている景品。生産国は中国が多い。これを作っている中国の作業員はまさか消費者が買った瞬間にゴミ箱に放り込むなどとは夢にも見ないだろう。また、その景品自体、彼らの子供にさえ買い与えることが難しいほどの所得なのだと思う。

これは米国でのことだが、15年ほど前に小生がニューヨークに行った際にホテルのベルマンにブルックスブラザース(日本ではそこら辺のデパートに入っている洋服屋の名前)の本店の住所を告げて、どの辺にあるのかを尋ねた時に彼はこう答えている。「僕には一生関係のない高級店だから詳しくは覚えていないけれど。」そのときのことを周囲に聞いて回ったところ、そりゃ当たり前だと言われた。ホテルのベルマンがブルックスブラザースで買い物するわけないだろ。ビームズだって行けないよ。
自由の国アメリカはじつはものすごく階級がある国なんだと思い知らされた出来事でした。

翻って我が日本はどうだろう?二間のアパートの前の道路にクラウンを路上駐車して、ロレックスの金時計を嵌めてパジャマを着て町を歩き、冷凍食品の中華料理を食卓に萬漢全席のごとく並べて、挙げ句の果ては子供の給食費を払わない。どうにもちぐはぐな生活を送っているように思える。
類似の例は道を歩く人を眺めるだけでいくらでも見つかる。
そういう消費行動が販売者を惑わせ、狂わせ、無理な供給や偽造を引き起こしておいるのだと思う。身の丈に合った生活というのは所得の多い少ないにかかわらず、大変なことだが、ちょっとでも道を踏み外すとものすごくアンバランスになってしまい、そのまま脱線してしまうことになる。

景品付きの菓子や飲料を見るたびに資源の無駄遣いを嘆き、スーパーで食品を眺める(正確には成分表示を読む)たびに気が重くなる。
飼っているペットに高級な餌を与えるのがおかしいのかおかしくないのか、ちょっと自問自答するところもあるのだけれど、実はすべてが自問自答すべき事柄なんだなとつくづく思う。

本当に、本当に、それ、必要なのか? と。