食の安全について書こうと思いましたが。ちょっと脱線した話をします。
現代日本の消費者ってものすごく贅沢だと思います。これは食品に限ったことではありません。
流行の最先端の舶来品を身につけ、常に新しい味覚を追求し(これも舶来品が中心)、最先端の電化製品を所有する。ところが口ではエコロジーだとか地球温暖化だと抜かす。おかしな話だ。
輸入に関しての燃料による温暖化の影響はどうなのだろうか?
調理するために用いられる季節外れの材料に関するハウス栽培の燃料は?
はたまた、ついこの間買ったばかりの電化製品を最新のモノにいとも簡単に変えてしまうことによる製造時のエネルギーや梱包材などの廃棄物のことは考えているのだろうか?
そして、海外の安い労働力で生産されたモノを輸入して、罪悪感はないのだろうか?
それが経済だというのならばすべてを受け入れればいいだけで、後はどうなっても知りませんよと開き直るべきだ。国を挙げてエコロジーとか南北問題とかに取り組むというのであれば徹底した質素倹約を国是とすべきなのではないかと思う。
たとえば、飲料についている景品。生産国は中国が多い。これを作っている中国の作業員はまさか消費者が買った瞬間にゴミ箱に放り込むなどとは夢にも見ないだろう。また、その景品自体、彼らの子供にさえ買い与えることが難しいほどの所得なのだと思う。
これは米国でのことだが、15年ほど前に小生がニューヨークに行った際にホテルのベルマンにブルックスブラザース(日本ではそこら辺のデパートに入っている洋服屋の名前)の本店の住所を告げて、どの辺にあるのかを尋ねた時に彼はこう答えている。「僕には一生関係のない高級店だから詳しくは覚えていないけれど。」そのときのことを周囲に聞いて回ったところ、そりゃ当たり前だと言われた。ホテルのベルマンがブルックスブラザースで買い物するわけないだろ。ビームズだって行けないよ。
自由の国アメリカはじつはものすごく階級がある国なんだと思い知らされた出来事でした。
翻って我が日本はどうだろう?二間のアパートの前の道路にクラウンを路上駐車して、ロレックスの金時計を嵌めてパジャマを着て町を歩き、冷凍食品の中華料理を食卓に萬漢全席のごとく並べて、挙げ句の果ては子供の給食費を払わない。どうにもちぐはぐな生活を送っているように思える。
類似の例は道を歩く人を眺めるだけでいくらでも見つかる。
そういう消費行動が販売者を惑わせ、狂わせ、無理な供給や偽造を引き起こしておいるのだと思う。身の丈に合った生活というのは所得の多い少ないにかかわらず、大変なことだが、ちょっとでも道を踏み外すとものすごくアンバランスになってしまい、そのまま脱線してしまうことになる。
景品付きの菓子や飲料を見るたびに資源の無駄遣いを嘆き、スーパーで食品を眺める(正確には成分表示を読む)たびに気が重くなる。
飼っているペットに高級な餌を与えるのがおかしいのかおかしくないのか、ちょっと自問自答するところもあるのだけれど、実はすべてが自問自答すべき事柄なんだなとつくづく思う。
本当に、本当に、それ、必要なのか? と。
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