2018年1月29日月曜日

見て見ぬふり

あれはたしか1991年の12月30日。
芝浦のヤナセ、年末の最終営業日にスタッドレスタイヤへの交換に行った時のこと。
田町を過ぎて第一京浜を右折するあたりで中央分離帯(柵だけだけど)にしがみついて反対車線を伺っているホームレス風の男性が目にとまった。
時刻は午前9時に頃だっただろうか、もう年末年始で車の量は少なく、それなりのスピードで走ってくる。
芝四の信号が赤から青に変わり、先頭を白のBMW5が走ってくる。

なんだって柵があるところ渡るかなー。
というか、さっき車走ってなかったから渡れただろ。
どうしても近くで見たいのかな?

そう思いながら横を通り過ぎた瞬間、男は反対車線にパッと飛び出した。

通過した私の車のバックミラーの中でBMWに跳ね飛ばされ宙を飛ぶ男の姿、うろたえるようにブレーキを踏むBMWが映った。

なぜBMWに飛び込んだのか。
偶然にBMWだったのかもしれない。
思い切りが付いたときに来たのがBMWだっただけかもしれない。
それとも、BMWを狙ったのだろうか?
保険がもらえるとでも思ったのか。
どこかに残した家族のために保険を役立てたいと思ったのかもしれない。
そう思っていたのならばもっと生きるべきであったと思う。

その後、男がどうなったのかはわからない。


と、いう記憶がよみがえったのはつい先日、会社の近くの国道2号線での出来事。

早暁6時。まだ暗い。
全体が制限速度を超えるスピードで流れている。
3車線中、いちばん右の車線を快走していたのだが、ふと前の車が揺れた。
フラッと左に揺れた。
まるで中央分離帯を避けるように。

反射的にそれに追従するとともにブレーキを踏んだ。

中央分離帯に目を凝らすと老婆がこちらを窺っている。

徘徊。
家族がそろそろ探しだしているのではなかろうか。

防衛本能から意図的に飛び出してくることはないと思うが、それだけに必死の形相になる。


老人が多くなって、徘徊が増えるという社会問題が現れるが、それに対して我々は対応できるのだろうか?
社会インフラはどう対応していくのか、見守りとは隣組の再現にもつながる。
それを問題にすれば解決にはつながらない。
社会派にとっては両刃の刃のなるわけなのだが、それを知ってかだんまりを決め込んでいる。
同じことは通り魔などにもいえる。
へんなのが近所に住んでいても見て見ぬふりをする。
原因を自ら隠そうとしているとしか思えない。
関わりあいたくないから? たぶんそう。
で、あれば、犠牲になっても文句はいえまい。

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