2018年2月4日日曜日

変われない自分

先日、カラマツ林の場所が思い出せなくなった記事をアップしました。
あんなに感動した場所なのになぜ思い出せなくなってしまったのか。自分の感動ってのはその程度だったのかを問題視していました。

立ち止まって耳を澄ませたにせよ、感動なんて一過性のもので、次にそこを通っても気がつかない気分になってしまったのではないかと考えました。
つまり、なにごとも移りゆき通り過ぎてゆくということです。
そりゃ、明日の自分は今日の自分じゃないし、明日のあのひとも今日と同じわけはなく、樹々も風も気温も同じにはいられないわけです。

今日思ったことに明日はなんの保証もできないわけですし、哀しいかな人の心ほど変化が激しいものはないいままで身をもって思い知らされているわけです。
それでも変わらないなにかを求め続けている自分は傍目からはたいそう滑稽に見えることでしょう。

そう考えると、私はものすごく保守的なわけです。言動とは雲泥の差がありますね。
安定したいがために思い切り揺さぶって、自分という樹木が倒れないことを確認しながら日々を送っているのかもしれません。
無秩序で行きあたりばったりとも思える自分の行動が、実は防衛本能だとは気がつきませんでした。
カラマツ林をなんども見たい(感じたい)と思う自分が如何に物事は変わらないと勘違いしていたのか、恥ずかしい限りです。


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